Vol.101

Vol.101
危険な暑さが続いている。

あまりの暑さで海への人出が例年より減少して海の家の

オーナーが落胆している姿がニュースに流れていた。

コロナの次は熱波にやられるのか・・・。



八月になるとお線香の香りと故人を偲ぶお盆がやって来る。

父が亡くなって24年になる。

昔、酒を飲むとよく話してくれた若き日のオヤジの思い出話を

ひとつしたい。



上越線の石打に丸文と云う民宿がある。

そこに私が初めて行ったのが三歳の時だそうだ。

父は福島で生まれ子供の頃は当然の様に野山を走り回っていて

冬になると竹スキーなるもので遊んでいたらしい。

そのせいか大人になって相当スキーをやってみたかったのだろう、

この民宿に通い始めたのが昭和三十年頃だ。

その頃のスキー場は上越線の線路の下方に小さなゲレンデが

あった。その下に小さな食堂が一軒あり、その玄関脇に

「靴修理」と書いた布をたらして父は底の縫い糸が切れたスキー靴を

縫い直し、取れたホックをカシメ直したり、底が剥がれたのを

鋲打ちをして止めたり軍靴を作っていた父にとってそれほど

難しい事ではなかったらしい、中には海外のスキー靴の修理が

あり、これが後にとても参考になったらしい。

この食堂のオーナーは民宿丸文のご主人でお客様を呼ぶ事では

お互いの利益に叶っていたらしい。

手が空いて暇な時に父はスキーを楽しんでお客様が来ると

丸文のご主人が合図を出す。小さなゲレンデなのですぐに分り

食堂に戻って靴の修理をする。現在では考えられないほど

靴は簡単に壊れたらしい。なので面白い様に儲かった。

「なるほどならばこうすればもっと儲かる。」と思い立ち味をしめた

父が取った行動は・・・。         早めの次回へ続く・・・

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