あまりの暑さで海への人出が例年より減少して海の家の
オーナーが落胆している姿がニュースに流れていた。
コロナの次は熱波にやられるのか・・・。
八月になるとお線香の香りと故人を偲ぶお盆がやって来る。
父が亡くなって24年になる。
昔、酒を飲むとよく話してくれた若き日のオヤジの思い出話を
ひとつしたい。
上越線の石打に丸文と云う民宿がある。
そこに私が初めて行ったのが三歳の時だそうだ。
父は福島で生まれ子供の頃は当然の様に野山を走り回っていて
冬になると竹スキーなるもので遊んでいたらしい。
そのせいか大人になって相当スキーをやってみたかったのだろう、
この民宿に通い始めたのが昭和三十年頃だ。
その頃のスキー場は上越線の線路の下方に小さなゲレンデが
あった。その下に小さな食堂が一軒あり、その玄関脇に
「靴修理」と書いた布をたらして父は底の縫い糸が切れたスキー靴を
縫い直し、取れたホックをカシメ直したり、底が剥がれたのを
鋲打ちをして止めたり軍靴を作っていた父にとってそれほど
難しい事ではなかったらしい、中には海外のスキー靴の修理が
あり、これが後にとても参考になったらしい。
この食堂のオーナーは民宿丸文のご主人でお客様を呼ぶ事では
お互いの利益に叶っていたらしい。
手が空いて暇な時に父はスキーを楽しんでお客様が来ると
丸文のご主人が合図を出す。小さなゲレンデなのですぐに分り
食堂に戻って靴の修理をする。現在では考えられないほど
靴は簡単に壊れたらしい。なので面白い様に儲かった。
「なるほどならばこうすればもっと儲かる。」と思い立ち味をしめた
父が取った行動は・・・。 早めの次回へ続く・・・